OUTNUMBER2Q (2019-20)  レジェンド長谷川誠と沖縄①

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OUTNUMBER2Q (2019-20)  レジェンド長谷川誠と沖縄①

12月15日発売 (OUTNUMBER2Q 『BeAmbitious!』)



レジェンド長谷川誠
沖縄との関わり


OUTNUMBER2Q (2019-20)  レジェンド長谷川誠と沖縄①
OUTNUMBER2Qの長谷川誠さんの『海外挑戦』について掲載しました。
誌面に掲載できなかった長谷川氏と沖縄との関わりについてブログにて紹介します。



パナソニックのエースガードとしてプレーしていた(1994年)
日本代表が世界選手権への出場を決めたリヤドでのアジア選手権(1997年)


私自身バスケットをはじめたての頃に
『月刊バスケットボール』やテレビで見ていた
日本代表の大エース長谷川誠氏と
まさかこうしてお話が出来る日が来るとは。。。





つくづく人生は不思議なものだ。



そもそも私は沖縄のバスケットボールの歴史に興味があり、
それらを調査したいという気持ちから
OUTNUMBERを創業するに至った経緯がある。






現在沖縄が全国的にも特別視される
『バスケットボール王国』と称される理由は、
過去に沖縄で2度行われた国体、
国体若夏国体(1973年)と海邦国体(1987年)
の盛り上がりによるところが大きい。




海邦国体で沖縄は少年男子が優勝を果たす。
決勝の相手は長谷川誠氏(当時1年生)のいる秋田だった。
長谷川氏にとっては完全アウェーの玉城の体育館
会場の異様な雰囲気を今でも鮮明に覚えているという。




沖縄と一番最初に関わったのは海邦国体ですよ。



『初めての国体で、しかも沖縄。そこら辺の部分に関してはすごい印象がいまだに深い大会でした。
国体は2年3年優勝しているんですよ。1年生の時だけ落としているんです。
だから勝ったゲームよりも負けたゲームのほうが覚えている』



『伊佐、角田、松竹、中村。
伊佐がポイントガードで、この人すげー!って
後ろに目ついてる!ぐらいの感覚で
今じゃ当たり前のパスですけど、昔は両手で
片手でパスするなというそういう時代だったから』



初めて訪れた沖縄では完全アウェーの独特な雰囲気もあり優勝を逃した。
みたこともないトリッキーなプレーをみせる沖縄の選手に
価値観を揺さぶられた。
能代工業はその年、加藤三彦氏がアシスタントコーチとして加わった。
加藤廣志氏から加藤三彦氏への引き継ぎがはじまり、
新しいバスケットボールを取り入れていく転換期を迎えていたという。




つづく


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